旅の歌
時代が下って、防人として東国の男子が筑紫へくだる頃には、妻はみな家にのこって「君の刀にならましものを」と、ともに旅をなしえぬ嘆きをかきとめています。
それに比して、古代はみな、夫とともに女も旅をしたことを考えると、大らかな時代が、その時代相が覗かれるようにも思います。
今の旅とはことなって、昔日の旅にはさまざまな困難があった筈であるのに、それらはすべて精霊のさまたげとして、祈願することによって処理していった信仰の厚味を見ることも出来ます。
弟橘媛は、劇的な旅の短い生涯を終えました。
殉じて悔いない純愛のたかぶりを見せて。
父を天武天皇としたのに、母の太田皇女は早く世を去りました。
それだけでも子としての不運は始まっているのに、ただ一人の弟、大津皇子を大和へのこして、彼女は伊勢の斎宮となって下ってから13年の月日はたちました。
思いがけなく、大津皇子がたずねてきて、父天武天皇崩御のあとの宮廷の冷戦の様子をきいていると、大伯皇女は切ない思いに閉されるのでした。
このまま皇子を都へかえしてしまっては、明らかに謀叛の徒になってしまう・・・。
いさめて、ようやく飛騨の寺への出家をすすめ、弟宮大津皇子も姉宮の心のままに納得して、大和へかえるとき、大伯皇女は、
吾が背子を大和へ遣るとさ夜ふけて暁露に吾か立ち揺れし 大伯皇
二人行けど行き過ぎかたき秋山をいかにか君かひとり越えなむ
・・・と、きびしい伊賀越えの旅の弟宮を思われたうたの意が、やがて無惨にふみにじられていくとは、このとき大伯皇女は思っても見ないことでした。