旅の歌 4

二上山は大和盆地と河内平野をさえぎっている葛城山脈の北端にあたり、大和盆地から仰げば、二つの馬の背のような嶺をもっていました。


雄岳と雌岳があり、その間にしずむ夕陽は荘厳であって、西方浄土を思わせる場でもありました。


むくわれることなくさまよう霊魂をここにまつることによって、持統天皇はいくらか心やすまる思いをもったのでしょうか。


うつそみの人なる吾や明日よりは二上山を兄弟とわか見む 大伯皇女


〔私は生きていますのに、皇子はすでに亡く、二上山に魂しずまりました。この二上山を弟と思って見ることにいたしましょう。〕


・・・言葉かよわぬ二人となった嘆きは、大和平野を中にしてかなしみをかわす場になりました。


磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君が在りといはなくに 大伯皇女


〔磯のあたりに咲いているあしびを手折ろうと思いますけれど、手折ったとて、お見せする皇子はもはやこの世にはいられませぬ。〕


大伯皇女は伊勢からの旅が終って大和へかえってからも、二上山が西方浄土であるとは言っても、ここの夕映えはいたくさびしいものでした。

旅の歌 3

神風の伊勢の国にもあらましをなにしか来けむ君もあらなくに


見まく欲りわがする君もあらなくになにしに来けむ馬疲るるに


〔今は逢いたいと思う君もすでにいないのに、何でこのような思いをして大和へかえったのでありましょう。〕


〔弟のいなくなった大和へは来るのではありませんでした。馬が疲れるだけの哀れしかありませんのに。〕


・・・伊勢から、伊賀越えをしたと思われるこの大伯皇女の旅は、弟が刑死であっただけに、落塊の長い旅路であった筈です。


斎宮として、伊勢に出仕するときの晴れ晴れしい行列とは打って変わって、ひそかなものであるのも切ないものでした。


大津皇子は大和へかえる時、どの間道をとおっていったのでしょうか。


大伯皇女は旅のみちみち、傷ましい皇子の死を思い、早く母をうしなったために蒙る姉弟の不運を思わずにはいられないのでした。


ひとりの旅は更にさびしいものでした。


大和につくと、馬来田につくられた大津皇子の墓のあたりから、鬼火が夜な夜な燃えて、時には浄御原の方へ、ゆられゆられて浮遊する、という噂をききました。


さぞかし弟宮は口惜しかったであろう、と目がしらが熱くなったけれど、やがてこの怨霊説をおそれるかのように、馬来田から二上山に大津皇子の墓を移葬する命令が出されました。

旅の歌 2

大津皇子は持統天皇のきびしい警戒の軍のため、帰邸するとすぐ包囲され、何の理由もただされることなく処刑されてしまったのでした。


いわば謀られた死であり、与えられた死でした。


大津皇子は勝れた詩質をもっていた皇子でしたから、いさぎよく決意のもとに処刑された、と見えるけれど、そのたましいは如何ほど怨霊となって明日香をさまよいつづけたことでしょう。


大津皇子が処刑されると、まもなく姉宮の大伯皇女は斎宮の任をとかれて、伊勢から都へかえりました。


一説には、処刑40日後であったとも言われ、その後はしばしば天地をゆする地震が起きつづけたとも言われています。


「大津皇子さまの不当な処刑の呪誼にちがいない」とも言われました。


しかし、その間に大伯皇女は、たった一人の血を分けた弟宮の死をいたみながら、さびしい孤独の身を大和へ運びました。


切ない旅でした。

旅の歌

時代が下って、防人として東国の男子が筑紫へくだる頃には、妻はみな家にのこって「君の刀にならましものを」と、ともに旅をなしえぬ嘆きをかきとめています。


それに比して、古代はみな、夫とともに女も旅をしたことを考えると、大らかな時代が、その時代相が覗かれるようにも思います。


今の旅とはことなって、昔日の旅にはさまざまな困難があった筈であるのに、それらはすべて精霊のさまたげとして、祈願することによって処理していった信仰の厚味を見ることも出来ます。


弟橘媛は、劇的な旅の短い生涯を終えました。


殉じて悔いない純愛のたかぶりを見せて。


父を天武天皇としたのに、母の太田皇女は早く世を去りました。


それだけでも子としての不運は始まっているのに、ただ一人の弟、大津皇子を大和へのこして、彼女は伊勢の斎宮となって下ってから13年の月日はたちました。


思いがけなく、大津皇子がたずねてきて、父天武天皇崩御のあとの宮廷の冷戦の様子をきいていると、大伯皇女は切ない思いに閉されるのでした。


このまま皇子を都へかえしてしまっては、明らかに謀叛の徒になってしまう・・・。


いさめて、ようやく飛騨の寺への出家をすすめ、弟宮大津皇子も姉宮の心のままに納得して、大和へかえるとき、大伯皇女は、


吾が背子を大和へ遣るとさ夜ふけて暁露に吾か立ち揺れし 大伯皇


二人行けど行き過ぎかたき秋山をいかにか君かひとり越えなむ


・・・と、きびしい伊賀越えの旅の弟宮を思われたうたの意が、やがて無惨にふみにじられていくとは、このとき大伯皇女は思っても見ないことでした。

色名の表現法 11

同じ種類と数の基本色名をもつ言語同士の問でも、同種の色名が表わす範囲はかならずしも同じではありません。


しかし、パーリンとケイは、各色彩語の表わす範囲は違っていても、その色名が代表する焦点の色には、いちおう文化を超えた普遍性があるとしています。


アメリカのカラーサンプルに、「レッド」と表記されている色が、日本で「赤」と呼んでいる色とほぼ同じであれば、レッドを赤と訳してもまず間違いないということになるわけです。


しかし、それでもその色が濃くなったり薄くなったりして、レッドといわれなくなる限界が、赤の限界と同じかどうかということまではなかなかわかりません。


「本郷もかねやすまでは江戸のうち」


・・・という川柳は、江戸の範囲について、江戸っ子の実感を表わしたものです。


この実感は当時の江戸っ子でないとわからないようなもので、どの範囲までを赤というかは同じ文化に所属してみないかぎりよくわからないもののようです。


主に色の分類に使われる系統色名でも、アメリカと日本の分類法では、分類の数が違い、もちろん色の範囲もやや違っています。

色名の表現法 10

結果として、私たちはひとつの色について無数の呼び方に遭遇することになってしまったわけです。


しかし、まったく異質な文化から生まれた外国語の色名を借用するには、やはり相応の知識や慎重さが必要でしょう。


パーリンとケイは、各種言語の基本色彩語の範囲を、系統的に選ばれた329色の色彩表を使って比較しています。


色名を相互に翻訳することができるとすれば、同じ種類の色名が、それぞれ同じ範囲の色を代表していなくてはなりません。


基本色名で呼ばれる色の範囲でさえも、それぞれの言語によってかなり相違があるということがわかります。


基本色名の数が違う言語では、同じ種類の色名でも色の範囲は当然変わります。


基本色名の数が少ない言語では、当然、豊富な基本色名をもつ言語よりも、ひとつの色名で表わされる色の範囲は広くなるはずです。

色名の表現法 9

系統色名でも、「ライトブルー」や「ヴィヴィッドグリーン」などはかなりよく使われている英色名です。


「ピンクがかった赤」だとか「赤味オレンジ」というような、和英混合の系統色名もよく使われているので、ひとつの色の呼び方について、系統色名だけでも相当の数になってしまうのは当然なのです。


固有色名にもいろいろな英語が使われはじめています。


特に「ピンク」がつく色名は、「桜色」「桃色」などの在来の色名よりも、ずっと一般的な色名になっています。


明るい黄系の色を指す時には、「卵色」というよりも「クリーム」と呼ぶ人が多いということもわかります。


ありふれた色でも英語の色名で呼びかえることによって、その色が近代的な、しゃれた色に生まれかわることが期待されているのだとしたら、日本は21世紀を迎えた現在も、依然として「言霊の幸う国」です。

色名の表現法 8

色名についての社会共通の教養が崩れはじめたことから、自己流の色の呼称ばかりでなく、英語その他の外来の色名が氾濫するようになりました。


調査結果を見ても、ある種の英語の色名が、日本語の色名以上に多用されているという例は珍しくないのです。


ひとつの色の呼び方が必要以上に多くなっているのは、これらの外来色名がかなり含まれているからです。


一般に、基本色名では、赤、黄、緑、青、紫、白、黒などの日本固有の色名で答える人が多いのです。


赤と黄の中間にある色系統は、「榿」という和名よりも、「オレンジ」という英語の色名で呼ばれることが多くなりました。


橙という字が当用漢字には無いというばかりでなく、橙の実を見る機会が最近の生活では少なくなっていて、一方オレンジの色は、キャンディやジュース類などで幼児の頃からよく知られているということなのでしょう。

色名の表現法 7

結局、色名の種類、数、その使われ方は、その社会の色彩文化を反映しているともいえます。


「色名使用の実態調査」の結果も、現在の日本人の色名使用法や、色名についての関心の程度を反映したものとみることができます。


しかし、調査結果は、最近の色名の使われ方にかなりの混乱が生じていることを表わしています。


たとえば、明るい赤の色票について、256通りもの呼び方が出てきたという事実があります。


しかし、色名の語彙や、色についての関心が豊富だというにはあまりにも数が多すぎて、しかも無秩序です。


この中にはたった1人か2人の人しかあげなかったような名称がかなり含まれていて、それらの特異な色名の回答者は全体の30%以上に達しています。


言葉というものは、2人以上の人が共通の意味で使用すれば、その当事者間では言葉としての有効性をもつようになります。


同様に複数の人が共通の色を指す言葉は、色名としての市民権を獲得するわけです。


しかし現状は、色の呼び方に関する共通の教養が失われつつあることを示しているようにみえます。

色名の表現法 6

結局、固有色名によってどれだけの情報が伝えられるかは、その社会の色に対する感受性や教養の問題です。


それらが欠けていれば、かんじんの色の情報でさえ通じないということもあるわけです。


そこで、多くの固有色名の中でも、日常よく使われる色名を「慣用色名」ということがあります。


つまり、その社会で色名の意味や由来が比較的よく知られていて、ほぼ共通のイメージをもつことができる色名ということです。


古くから伝えられてきた「伝統色名」がそのまま慣用されることもあれば、新しい色材の出現や、新風俗の登場などから生まれた「流行色名」が定着して、一般に慣用されるようになる場合もあります。


慣用色名は、色名についての社会全般の教養水準によって選ばれるといってもいいでしょう。


現在の日本社会では、このようにいろいろな種類の色名が使われていて、それぞれ必要と知識に応じて使い分けられています。